景高は宇都宮成綱が家督を継承した際に単独で成綱を擁立し筆頭重臣としての地位を獲得する。また成綱や芳賀氏に不満を抱いていた武茂氏との衝突が表面化するとこれを鎮圧する。さらには古河公方の公認を得て再服従させ、政治の権力中枢から武茂氏を没落させ、実権を掌握する。
景高は実質的なもう一人の当主として幼い主君の成綱を補佐し、優れた内政手腕で奉行人として活躍するだけでなく室町時代で没落していた宇都宮氏当主の権力強化にも大きく貢献した。
一向寺の諸公事を免除したり、当主の宇都宮成綱と連署で成高寺への寺領を寄進した。
明応6年(1497年)に没した。家督は子・高勝が継いだ。