嘉慶9年(1804年)、外八旗の選秀(秀女選び)において、芸貴人として指名されて入宮した。『愛新覚羅宗譜・星源集慶』には「氏族未詳(氏族は不明)」と記されている。
『宮中雑件・随宮報奏底檔』によると、嘉慶10年(1805年)7月18日卯の刻(午前5時頃)、芸貴人は翊坤宮へ移されたが、7月19日寅の刻(午前3時頃)に重病となり治らず、卯の刻(午前5時頃)に翊坤宮から搬出された。葬儀後の11月23日に殯宮へ移送され、内廷の主位は吉安にある芸貴人の仮棺安置所の前で酒を供えた。12月11日に昌陵妃園寝へ埋葬された。