若柳吉蔵
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| 初代 三遊亭小圓遊 | |
| 本名 | 竹内 孝太郎 |
|---|---|
| 生年月日 | 1879年6月21日 |
| 没年月日 | 1944年1月25日(64歳没) |
| 出身地 | 現在の |
| 師匠 | 西川古代 初代三遊亭圓遊 若柳壽童 |
| 家族 | 初代三遊亭圓遊(実父) 2代目若柳壽童(養子) |
初代 若柳 吉蔵(わかやぎ きちぞう、1879年(明治12年)6月21日 -1944年(昭和19年)1月25日)は、明治から昭和にかけての日本舞踊家で、元落語家[1]。本名は竹内孝太郎。2世若柳流家元。
「ステテコ踊り」で知られた落語家の初代三遊亭圓遊を父に[1]、東京・小石川水道町に生まれる[要出典]。
12歳で振付師・西川古代に入門したが、2年後に廃業[要出典]。落語家に転じて父の門下になり、三遊亭清遊から三遊亭小圓遊を名乗った[1]。しかし技量が未熟という理由で「小圓遊」の名を取り上げられたという[1]。
その後新派の俳優となる。1896年、再度舞踊に転じ若柳流・若柳吉松(後の若柳壽童)の門下になり翌年吉蔵を名乗る。1908年10月23日、新富座で名披露目会を開く。[要出典]
1917年に師・壽童が死去、翌年に2世若柳流家元を継ぐ[要出典]。
1944年1月25日に死去し[1]、養子が2代目吉蔵(後の2代目壽童)を襲名して3世若柳流家元を継いだ。墓所は谷中霊園天王寺墓地。戒名は「信妙院遊阿弥即真居士」[要出典]。