現茨城県域には水戸藩を筆頭に14藩と県域外諸大名の飛地、幕府及び旗本領などが錯綜していた。慶応4年(1868年)、幕府の解体により幕府及び旗本領は新政府の直轄地とされ、粥川満明(三上藩士)が常陸県知事に、佐々布貞之丞(熊本藩士)が下総知県事に任命された。翌明治2年2月(1869年3月)、常陸知県事の管轄地として若森県が新設され、下総知県事の管轄地は葛飾県とされた。
明治4年11月(1871年12月)、廃藩置県後の第1次府県統合に伴い常陸国、下総国内の11県が新治県に統合されたことにより若森県は廃止。なお、若森県権知事であった池田種徳は引き続き新治県権令を務めた。