若狭和朋
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人物・逸話
- つかこうへいとは幼馴染みでで、小学・中学・高校とも同窓であり、学年は若狭が上だった[2]。
- 元NHK会長の籾井勝人とは、高校・大学の同級生で学寮でも同室だった。
- 経済産業省の職員で赴いていたドイツフランクフルトにて、研修・修学していた。
- 書籍『日本の滅亡は近いのだろうか』対談者のフリッツは、通産省時代にフランクフルトに滞在した時以来の友人であり、歳は一歳下であるが、学歳は遥に先輩であるという[3]。
- ドイツ在住期に日本に残した妻が23歳で亡くなる[4]。研修・修学を終え帰国する。
- 岐阜県在住と教師になったのは深い理由があり、「・・・、大寺の雲水の一員になっていた。」との記載がある[5]。
- 関市長の亀山一二によると、正眼寺におかしな坊主いると聞き訪ねてみる。近縁者を亡くした悲しみから通産省の職を放棄して帰国し、寺の雲水として暮らしている若狭和朋に対して、亀山は「悲しい気持ちはわかるけども、どうだ、心機一転、高校の先生にならんか。」と諭し、立ち直りの切っ掛けを与えた。
- 岐阜県下の公立高校社会科教師として、38年間教鞭を執った。県立加茂農林高校[6]など職業高校の教師の辞令を受けた[7]。
- 教師時代では、高校野球の監督・部長を務めた。有力校ではない各高校の野球指導を行った。16年間に夏の公式戦では1勝しかしたことがない弱いチームを勝つチームへ変革させる。
- 生徒指導部の部長を15年間務めた。生徒たちを善導することは大変な苦労が要ったことだが、15年間は岐阜県下では、めずらしい記録だという[8]。
賞・論文
- 2011年、第4回「真の近現代史観」懸賞論文に入選(佳作)
著書
- 若狭和朋『衰弱する教育 - "生徒指導"渦中模索』公人社、1993年。ISBN 978-4-906430-41-3。
- 若狹和朋『日本人が知ってはならない歴史』朱鳥社、2004年。ISBN 978-4-434-04628-5。
- 若狹和朋『続・日本人が知ってはならない歴史』朱鳥社、2007年。ISBN 978-4-434-11358-1。
- 若狹和朋『日本人が知ってはならない歴史 戦後篇』朱鳥社、2009年。ISBN 978-4-434-13468-5。
- 若狹和朋『日露戦争と世界史に登場した日本』ワック、2012年8月31日。ISBN 978-4-898-31189-9。
- 若狹和朋『昭和の大戦と東京裁判の時代』ワック、2013年2月13日。ISBN 978-4-898-31190-5。
- 若狹和朋『歴史戦争の正体 日本を滅ぼす自虐史観とマルキシズム』幸福の科学出版、2015年7月17日。ISBN 978-4-86395-697-1。
- 若狹和朋『日本人よ、歴史戦争に勝利せよ GHQ洗脳史観への決別宣言』成甲書房、2015年11月20日。ISBN 978-4-88086334-4。