英一珪
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高嵩谷の門人。英氏。名は信重。英一川の子あるいは養子といわれる。初め崇卿と号し、後に一珪、有松庵、友松庵と号した。高崇谷の命により英家を再興し、寛政期から活躍、軽妙なタッチの扇面画を残している。文化の頃には神田の於玉ケ池に住んでいたが、天保頃には本所柳島に移り住んだ。一時は、歌川国貞が入門したことでも知られている。墓所は芝の二本榎承教寺中顕乗院(現池上本門寺)。法名は英寿院一珪日仙。享年については85歳、92歳、あるいは96歳ともいわれ諸説あるが、辞世の狂歌では「百まではなんでもないとおもひしに 九十六ではあまり早死」と詠っており、96歳説が有力である[1]。没日も12月21日ともされる。