英霊にこたえる会
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| 前身 | 靖国神社国家護持貫徹国民協議会 |
|---|---|
| 設立 | 1976年 |
| 設立者 | 靖国神社国家護持貫徹国民協議会 |
| 目的 | 国のために尊い命を捧げられた英霊の慰霊・顕彰を行い、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝を求める |
| 本部 | 靖国神社・遊就館内 |
| 所在地 | 東京都千代田区九段北3丁目1-1 |
| 事務局長 | 冨田定幸 |
| 会長 | 寺島泰三 |
| 重要人物 | 石田和外(初代会長)、堀江正夫(名誉会長) |

(2001年8月15日)
英霊にこたえる会(えいれいにこたえるかい)は、1976年(昭和51年)に設立された日本の任意団体。会長は寺島泰三。
靖国神社の遊就館に中央本部事務局、都道府県全てに地方本部を置き[1]、公称会員数は120万人。靖国神社の祭神に戦友や家族を持つ旧軍の将兵・遺族をはじめ、靖国神社が国に殉じた人々(英霊)への慰霊・顕彰の中心施設であるべき[2]と考える人々によって構成されている。
靖国神社国家護持貫徹国民協議会が前身[3]。
1969年(昭和44年)6月7日、「靖国神社国家護持貫徹国民協議会」(靖国協)発足。靖国神社法案成立を願い5月16日東京・日比谷公会堂にて日本遺族会が中心となって31団体[4]で共催された「靖国神社国家護持貫徹国民大会」の5月21日反省会で、同大会実行委員会を「靖国神社国家護持貫徹国民協議会」として発展させ、国民運動を展開する方針を決めていた[5]。
1974年、靖国神社法案が廃案となり、代替として藤尾正行衆議院内閣委員長は「表敬法」の私案を提示し、自民党内で検討が行われたが[6]、国会提出には至らなかった[7]。
1976年(昭和51年)3月31日、靖国神社国家護持貫徹国民協議会は英霊顕彰の新国民組織を検討、結成趣旨書、会則等を決定した上でその名称を「英霊にこたえる会」と定めた。6月22日、「英霊に対する国・国民のあるべき姿勢を確立するための国民運動を展開する」として[8]九段会館で「英霊にこたえる会」結成総会が開催、会則等を満場一致で採択、英霊にこたえる会は正式に発足し、石田和外元最高裁判所長官が初代会長に、扇谷正造(ジャーナリスト)・宇野精一(東京大学名誉教授)・石井好子(音楽家)・有末精三(日本郷友連盟会長)紅露みつ(各種婦人団体連合会長)・佐藤信(日本遺族会専務理事)が副会長に、池田弥三郎・黒川紀章・香山健一らが参与に選ばれた[9][10][11]。7月2日、運営委員会で石田会長は「この会は政党、政派、宗教等をすべて超越して、中正公平な気持ちで、そして人の和を大切にして進めていただきたい」と述べた[12]。靖国神社国家護持貫徹国民協議会は解散し残余財産は英霊にこたえる会へ寄附された[13]。