草野政信 From Wikipedia, the free encyclopedia 草野 政信(くさの まさのぶ、1838年12月23日〈天保9年11月7日 〉- 1912年〈大正元年〉11月8日[1])は、江戸時代の武士、明治時代から大正時代の実業家、銀行家。 紀州藩士の草野三助の長男として天保9年に生まれた[2]。維新後に設置された、藩の民政局の参事を務めた[要出典]。1872年(明治5年)家督を相続した[2]。 第十五銀行の設立に関わり、同行の取締役や丁酉銀行取締役を務めた。日本鉄道会社委員も務めた。1903年(明治36年)時点での住所は東京府東京市麻布区飯倉片町24[2]。 和歌山にいた時、後に歴史学者となる三宅米吉を指導し、東京でも自宅に下宿させていた[要出典]。 親族 家紋は下がり藤 妻:某 ? - 1891年(明治24年)4月19日没 養子:武雄 1874年(明治7年)9月 - 弟草野可孝の次男 養女:しず 1883年(明治16年)10月 - 弟草野可孝長女。大審院検事の三橋市太郎の妻となる。 弟:草野可孝 ? - ?陸軍輜重兵陸軍中尉であったが、過度の飲酒により免官となった。その元妻は松尾三代太郎の姉。 脚注 ↑ 青山霊園の墓碑より 1 2 3 草野政信 - 人事興信録初版(1903年4月、リンク先は名古屋大学大学院法学研究科の「人事興信録データベース」) この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。表示編集 Related Articles