荒蒔義勝
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茨城県出身[1][2]。1899年(明治32年)11月、陸軍士官学校(11期)を卒業[1][3]。翌年6月、砲兵少尉任官[3]。1909年(明治42年)12月、陸軍大学校(21期)を卒業[1][2][4]。その後、陸軍野戦砲兵射撃学校に配属[4]。
1919年(大正8年)12月、野戦砲兵射撃学校教育部長に就任[2]。1920年(大正9年)12月、砲兵大佐に昇進[2]。1922年(大正11年)8月、近衛野砲兵連隊長に異動[2]。1923年(大正12年)12月、陸軍航空学校下志津分校長となり、以後、航空関係の役職を歴任する[2]。1924年(大正13年)5月、下志津分校が下志津陸軍飛行学校に昇格し初代校長に就任[2]。1925年(大正14年)5月、陸軍少将に進級[2]。
1929年(昭和4年)8月、明野陸軍飛行学校長に異動[1][2]。1930年(昭和5年)6月、所沢陸軍飛行学校長に移り、同年8月、陸軍中将に進んだ[1][2]。1932年(昭和7年)4月、陸軍航空本部付となり、同年9月、第9師団長に親補された[1][2]。1934年(昭和9年)8月に待命となり、翌月、予備役に編入された[1][2]。1939年(昭和14年)4月1日に後備役となる[5]。