荘司貴和子 From Wikipedia, the free encyclopedia 荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6月5日[1])は日本画家、抽象画家。 兵庫県神戸市生まれ。東京都立駒場高等学校芸術科を経て、1963年に東京芸術大学日本画科を卒業[1]。高校の非常勤講師として絵画を教える傍ら制作活動に取り組み、新制作協会日本画部に出品、1973年と1974年には春季展賞を受賞した。1971年に結婚、夫の母である日本画家の荘司福とは共に取材旅行を行い制作に励む。1974年に結成された創画会にも出品を重ね、4年連続で春季展賞を受賞するなどしたが、1979年に腸癌で死去。享年39歳[2]。 その作品は、加山又造により「稀有の才能に満ち」「日本画という制約の多いとも思える素材、技法で、日本画のみが可能と思える抽象作品を、地道に、しかも才能豊かに、一貫して発表しぬいて居られ」「胸をときめかして見たのである」と評された[3]。 主な作品収蔵 梅野記念絵画館・ふれあい館 神奈川県立近代美術館 脚注 1 2 “荘司貴和子 アンコール展” (PDF). 梅野記念絵画館. 2026年3月13日閲覧。 ↑ 平塚市. “荘司福・荘司貴和子展-院展の巨星・創画の新星 2019年4月20日(土曜日)~6月9日(日曜日)”. 平塚市美術館. 2026年3月13日閲覧。 ↑ 加山又造 (1980). “加山又造が推す荘司貴和子”. 芸術新潮 (新潮社) 31 (8): 12-13. CRID 1521417755127338112. この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。表示編集 Related Articles