荻生天泉

From Wikipedia, the free encyclopedia

荻生 天泉(おぎゅう てんせん、1882年明治15年〉4月[1] - 1945年昭和20年〉10月9日[1])は、大正から昭和にかけて官展を中心に活躍した日本画家

『竹河(六曲一双屏風左隻)』アムステルダム国立美術館蔵

1882年明治15年)、福島県安達郡太田村(現・二本松市)に生まれる[2]。本名は守俊[3][4]。画家を志し、上京して橋本雅邦に師事した[3]

1907年(明治40年)に東京美術学校を卒業し、卒業後は1908年(明治41年)から1922年大正11年)まで東京府立第一高等女学校(現・白鷗高等学校)で教鞭を執った[3]

画業では第一回文展以来入選を重ね、帝展では1929年昭和4年)の第10回で『金釵鈿合』が特選となった。これにより翌1930年(昭和5年)、無鑑査出品者となった。美術研精会、二葉会、東台美術会、日本画会巽画会ほか多くの美術団体に属し、それらの展覧会をも舞台に作品を発表していった。また、中央画壇で活躍するとともに1920年(大正9年)[4]、同郷の勝田蕉琴らとともに「福陽美術会」を立ち上げて幹事長を務め[5]、故郷福島の芸術発展に尽くした[6]1945年(昭和20年)10月9日[1][注 1]。享年64。

作品

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI