荻野秋清
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生涯
秋清は、父とみられる荻野和泉守の跡を継いで黒井城主となった[9]。山田村(丹波市春日町山田[10])に隠居した和泉守に代わり、大永年中(1521 - 1528年)には黒井城に在城していた[11][12]。
天文10年(1541年)から13年(1544年)頃か[13]、赤井時家の二男・才丸(のちの荻野直正)が、朝日城(丹波市春日町朝日[14])の麓に居住する荻野同名中[注釈 2]の養子となる[16]。
直正は秋清の甥といわれ、直正の母と秋清の妻が姉妹だった可能性がある[3]。また、赤井系図[17]に秋清が直正の「外舅」(妻の父)とあることから、直正は秋清の娘を娶っていたと考えられる[18]。
天文13年(1544年)8月[19]、御油荘の円通寺に田地を寄進している[11][20]。
天文23年(1554年)1月2日、秋清は直正により殺害された[21]。この後、直正は秋清の下屋敷である留堀城(丹波市市島町酒梨[22])付近に清安寺を建立し、秋清の菩提を弔った[23]。