荻野秋清

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生誕 不明
墓所 清安寺跡(兵庫県丹波市市島町酒梨[1]
 
荻野 秋清
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文23年1月2日1554年2月3日
墓所 清安寺跡(兵庫県丹波市市島町酒梨[1]
官位 伊予守[2]
氏族 荻野氏
父母 荻野和泉守[3]
荻野直正
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荻野 秋清(おぎの あききよ)は、戦国時代丹波国武将黒井城主。

荻野氏は鎌倉時代末に氷上郡葛野荘地頭を務めていた御家人で、丹波の荘園における抑留や狼藉の停止を任される有力な武士だった[4][注釈 1]南北朝時代初期には荻野朝忠が丹波守護代に任じられていた[6][7]。黒井城のある氷上郡春日部荘赤松貞範が領知していたが、貞範は荻野氏を代官に任命したとみられ、その後、貞範の子孫が衰退すると春日部荘や黒井城は荻野氏のものとなっていた[8]

生涯

秋清は、父とみられる荻野和泉守の跡を継いで黒井城主となった[9]。山田村(丹波市春日町山田[10])に隠居した和泉守に代わり、大永年中(1521 - 1528年)には黒井城に在城していた[11][12]

天文10年(1541年)から13年(1544年)頃か[13]赤井時家の二男・才丸(のちの荻野直正)が、朝日城(丹波市春日町朝日[14])の麓に居住する荻野同名中[注釈 2]の養子となる[16]

直正は秋清の甥といわれ、直正の母と秋清の妻が姉妹だった可能性がある[3]。また、赤井系図[17]に秋清が直正の「外舅」(妻の父)とあることから、直正は秋清の娘を娶っていたと考えられる[18]

天文13年(1544年)8月[19]、御油荘の円通寺に田地を寄進している[11][20]

天文23年(1554年)1月2日、秋清は直正により殺害された[21]。この後、直正は秋清の下屋敷である留堀城(丹波市市島町酒梨[22])付近に清安寺を建立し、秋清の菩提を弔った[23]

殺害の理由

脚注

参考文献

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