菅公夫人の墓 From Wikipedia, the free encyclopedia 菅公夫人の墓(かんこうふじんのはか)は、岩手県一関市東山町田河津字竹沢に所在する史跡で、菅原道真の夫人(吉祥女)の墓と伝えられる地点である。地元住民によって長く守られてきた文化遺産で、石碑1基と五輪塔2基が現存する。 菅公夫人(吉祥女)は、菅原道真が901年に大宰府へ左遷された際、従臣と3人の子とともに陸奥国胆沢郡へ移り住んだと伝えられる。道真の死後、その訃報を聞いた夫人は深い悲しみにより病を得て、906年(延喜6年)に42歳で亡くなったとされる[1][2]。 その墓とされる場所が現在の一関市東山町田河津字竹沢にあり、石碑と五輪塔が残されている。 歴史 夫人は道真左遷後、胆沢郡(現在の岩手県奥州市周辺)に移り住んだとされる[1][2]。 906年に死去し、竹沢の地に葬られたと伝わる[1][2]。 墓所は地元住民により代々守られ、覆堂の建立や環境整備が行われてきた[1][2]。 1990年代には太宰府天満宮 ・北野天満宮 ・荏柄天満宮から梅の木が寄贈され、墓前に植樹されている[2][3]。 1995年(平成7年)に当時の東山町文化財に指定された[1]。 2006年には没後1100年を記念した「御神忌1100年祭」が開催された[2]。 形状・構造 墓所には以下のものが現存する[1]。 石碑 1基 五輪塔 2基 いずれも地元住民により覆堂内で保護されている。 信仰と文化的意義 菅原道真は「学問の神」として全国で信仰されており、その夫人の墓として当地は地域の歴史文化の象徴となっている。太宰府天満宮との交流や梅の植樹など、天神信仰との結びつきも深い[2]。 所在地 岩手県一関市東山町田河津字竹沢 脚注 1 2 3 4 5 6 『一関の文化財』一関市教育委員会、2018年3月30日、100頁。 1 2 3 4 5 6 7 “菅公(菅原道真公)夫人に係る「東風(こち)の里づくり」”. いわての文化情報大辞典. 岩手県 (2019年3月21日). 2026年2月19日閲覧。 ↑ “菅公夫人(「学問の神」菅原道真公の夫人)の墓”. 一般社団法人岩手県建設業協会ホームページ. 一般社団法人岩手県建設業協会 (2007年10月23日). 2026年2月18日閲覧。 外部リンク 菅公夫人の墓 - 岩手県 菅公夫人の墓 - いち旅 | 一関市公式観光サイト【いちのせき観光NAVI】 地図 - Google マップ Related Articles