菊池総 From Wikipedia, the free encyclopedia 国籍 日本出身地 千葉県生年月日 (1960-04-02) 1960年4月2日(65歳)身長体重 175 cm74 kg菊池 総基本情報国籍 日本出身地 千葉県生年月日 (1960-04-02) 1960年4月2日(65歳)身長体重 175 cm74 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 投手経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 千葉県立印旛高等学校 明治大学 東芝 この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート オリンピック 男子 野球 銀1988野球 菊池 総(きくち さとし、1960年4月2日 - )は、日本の野球選手(投手)。投手としては小柄ながら、キレの良いスライダーとシュートを駆使しソウル五輪代表にも選ばれた[1]。 印旛高校では1977年秋季関東大会県予選でエースとしてチームを支え、同校に初優勝をもたらした[2]。続く関東大会でも決勝で前橋高を完封し優勝。春の選抜初出場を決め、防御率0.38の成績で、江川卓にも匹敵するとの高評価を得ている[3]。翌1978年の第50回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦で西田真次、木戸克彦のバッテリーを擁するPL学園と対戦し、緊張もあって4点を奪われ完封負けに終わった[3]。同年夏の甲子園県予選では準々決勝で小川史を擁する浦安高に延長10回サヨナラ負け、甲子園には出場できなかった。 明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中3度の優勝を経験するが、1年上に森岡真一、同期に小島義則(東京ガス)、武藤哲裕(日本鋼管)と好投手がおり、あまり活躍の場はなかった。 卒業後は東芝に進み、三原昇らとともに投手陣の中心となる。1985年の都市対抗では3勝を挙げ決勝に進出。先発に起用されるが日本生命に逆転負け、この大会で久慈賞を獲得。1987年の都市対抗でも決勝に進出、ヤマハのエース劉秋農と投げ合うが敗退、またも準優勝にとどまる。この大会では2度目の久慈賞を獲得した。同年は第8回インターコンチネンタルカップ日本代表となり、社会人ベストナインにも選ばれた。 翌1988年はソウル五輪代表に選出され、若い選手の多い投手陣のまとめ役となった[4]。銀メダルを称え、千葉県知事賞を受賞した。第30回ワールドカップ(旧アマチュア野球世界選手権)日本代表にも選出されている。また同年はチームが都市対抗と日本選手権の両大会を制覇、これは史上初の快挙であった。菊池は両大会とも決勝で先発、都市対抗ではNTT東海との接戦の末9回裏サヨナラ勝ち、日本選手権では本田技研熊本を2回以降を無失点に抑え快勝した[5]。日本選手権では優秀選手賞を受賞している。この時のチームメートに三原の他、近藤芳久、丹波健二、南渕時高らがいた。 密かに引退を決意して臨んだ1991年の都市対抗では決勝戦で8回途中から登板して胴上げ投手となり、非常に思い出深い試合になったという[1]。引退後は社業に専念して官公庁向けの営業などを担当している[1]。 脚注 1 2 3 毎日新聞、1999年7月31日付夕刊、P.2 ↑ 朝日新聞、1998年12月13日付朝刊、千葉地方面 1 2 読売新聞、1978年3月30日付朝刊、P.17 ↑ 別冊宝島、1545号、P.75 ↑ 毎日新聞、1988年11月1日付朝刊、P.1 関連項目 千葉県出身の人物一覧 明治大学の人物一覧 野球日本代表表話編歴 野球日本代表 - 1988年 第31回IBAFワールドカップ監督 30 鈴木義信 コーチ 31 川島勝司 32 山中正竹 投手 11 潮崎哲也 12 渡辺智男 14 鈴木哲 15 菊池総 16 吉田修司 18 石井丈裕 19 野茂英雄 捕手 20 古田敦也 22 應武篤良 内野手 1 西正文 2 葛城弘樹 3 米崎薫臣 6 野村謙二郎 9 小川博文 10 筒井大助 28 大森剛 外野手 8 中島輝士 21 前田誠 25 松本安司 27 笘篠賢治 表話編歴 野球日本代表 - 1988 ソウルオリンピック 2 銀メダル監督 30 鈴木義信 コーチ 31 川島勝司 32 山中正竹 投手 11 潮崎哲也 12 渡辺智男 14 鈴木哲 15 菊池総 16 吉田修司 18 石井丈裕 19 野茂英雄 捕手 20 古田敦也 22 應武篤良 内野手 1 西正文 2 葛城弘樹 3 米崎薫臣 6 野村謙二郎 9 小川博文 10 筒井大助 28 大森剛 外野手 8 中島輝士 21 前田誠 25 松本安司 27 笘篠賢治 Related Articles