菊西正子
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1933年3月神戸山手高等女学校(現神戸山手女子中学校・高等学校)卒(第5回生)[3]。
芸の道は長姉の麻子が継ぐべく幼少の折より厳しく指導を受けていたが、1936年に37歳で急逝したことから、その後を継ぐこととなり、勤めていた会社を辞し、父及び兄弟子の菊茂琴昇から手ほどきを受け、当道音楽会大勾当となる。
神戸市中央区加納町で菊西箏曲研究所・琴栄会を主宰し、箏曲及び三絃を教授。
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1933年3月神戸山手高等女学校(現神戸山手女子中学校・高等学校)卒(第5回生)[3]。
芸の道は長姉の麻子が継ぐべく幼少の折より厳しく指導を受けていたが、1936年に37歳で急逝したことから、その後を継ぐこととなり、勤めていた会社を辞し、父及び兄弟子の菊茂琴昇から手ほどきを受け、当道音楽会大勾当となる。
神戸市中央区加納町で菊西箏曲研究所・琴栄会を主宰し、箏曲及び三絃を教授。