葦原金次郎
日本の皇位僭称者
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生涯
生まれは越中国高岡(現在の富山県高岡市)[5][6][7][注釈 2]とする文献と、加賀国金沢(現在の石川県金沢市)[8]とする文献がある。
埼玉県深谷で櫛職人として働いていたが[6]、20歳の時に東京に出て発病したと言われる[9][注釈 3]。24歳の時に結婚したが、懲役に処せられたことから妻に逃げられ離婚[9]。離婚の翌年である1875年(明治8年)頃より「芦原将軍」を自称するようになったという[9]。
病名については「躁病の誇大妄想」、「分裂病の誇大妄想」、あるいは「梅毒からくる進行麻痺の誇大妄想」など、医師によって診断が分かれる[10]。
1882年に明治天皇への直訴未遂事件を起こし、東京府癲狂院(1889年に巣鴨病院と改名)へ入院した。数度の脱走を繰り返した後、1885年に再入院。彼の誇大妄想は日露戦争の戦勝とともに肥大化し、いつしか将軍を自称するようになった。さらに、昭和の頃には天皇を自称するようになった。1919年に松沢病院へと病院名改称後も入院を続け、以後1937年に88歳で亡くなるまで松沢病院で過ごした。
墓所は世田谷区の豪徳寺にあったが、無縁となり整理されている。戒名は至天院高風談玄居士。円筒形の墓石には戒名とともに「自称芦原将軍として56年の生涯を狂聖として院の内外に名物男として知られ」と彫り込まれている。
