葵司朗
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本名は杉浦隆だが、芸名に用いた ″葵″ は徳川家康の生誕の地が自身の出身地と同じ岡崎市だったことに由来する[4][2]。
コロムビア歌謡コンクールの東海地区で優勝し、全国大会では11位となる。19歳で上京し、キングレコードからシングル「豊橋の女」でデビューするが、なかなかヒットには恵まれなかった。一時は歌手を諦めかけ成田空港の税関でアルバイトをしていたが、歌うことを諦めきれず、30歳を過ぎたころ再び音楽の世界に戻る[4]。
「男と女のラブゲーム」は、1986年に ″タケダ胃腸薬21″ のCMソングとしてサビの部分が流され話題を呼ぶ。最初のバージョンを歌っていたのは武田鉄矢と芦川よしみだった。この歌はCM用にサビの部分しか作られていなかったが[5]、完全版を発売したいというレコード会社が相次ぎ、最終的には13社が名乗りを挙げ、その中には有名な歌手同士の組合せもあったという。徳間音楽工業(現在の徳間ジャパンコミュニケーションズ)が最初に日野美歌とのデュエットを提案し、当時無名の歌手だった葵が抜擢される[2]。背景には、葵の実家が音楽一家だったことがあり、同郷の馬飼野兄弟(馬飼野俊一、馬飼野康二)とも縁があった[4]。葵は兄の俊一に弟子入りしており、「男と女のラブゲーム」の作曲を手掛けたのが弟の康二だった。葵によると、事務所に出入りしているときに偶々この曲を聴く機会があり、その瞬間に「これは絶対売れる」と確信し「ぜひ、歌わせてください」と自ら申し出たという[4]。それまでは俊一の付き人とどさ回りの日々が続いていたが、この曲のヒットにより活動は一変する。当時、徳間音楽工業にいた若手社員の尽力もあってレコードは売れ続け、3か月後には歌番組への出演依頼が殺到した[4]。
この曲で、1987年上半期大阪有線大賞特別賞受賞、全日本有線放送大賞入賞、メガロポリス歌謡祭に入賞する。
現在は歌謡講座「ゆめ歌カラオケ」を開き、講師として愛知県内6か所の教室で歌う楽しさを伝えている[4]。