蔡順 From Wikipedia, the free encyclopedia 蔡順 蔡 順(さい じゅん、生没年不詳)は、孝子として知られる後漢の人物。字は君仲。本貫は汝南郡安成県。 若くして父を失い、母に仕えて孝行なことで知られた。母が死去すると、太守の韓崇に召し出されて東閤祭酒となった。後に太守の鮑衆により孝廉に察挙されたが、蔡順は墓から遠く離れることはできないとして、官につかなかった。家で80歳で死去した。 逸話・人物 唐土二十四孝 王莽の乱のとき、凶作の年で食糧が充分でなかったため、蔡順は桑の実を拾って別の器に盛りつけていた。赤眉の反乱兵がこれを見てわけを訊ねると、蔡順は「黒いものは母に奉じるため、赤いものは自分が食べるためです」と答えた。反乱兵はその孝行に同情して、白米三斗と牛蹄一対を蔡順に与えた[1]。 蔡順が薪を求めて外出していたとき、不意の来客が留守宅にやってきた。母は蔡順が帰ってくるよう望んで、自分の指を噛んだ。すると蔡順は心動かされて、薪を捨てて馳せ帰り、跪いてそのわけを訊ねた。母は「急な客がやってきたので、わたしが指を噛めばおまえもわかると思っただけです」と答えた。 蔡順の母は90歳で寿命を迎えて亡くなった。葬儀が済まないうちに屋内で火災が起こり、火がもがりの部屋に迫ったため、蔡順は柩を抱えて伏し、号哭して天に叫ぶと、火は他の部屋に延焼していったが、遺体に火が及ぶことはなかった。 蔡順が太守の韓崇に祭酒として召し出された。蔡順の母はいつも雷を恐れていたため、亡くなった後に雷の震音があるたびに、蔡順は「順はここにいます」といって、あごをしゃくらせて泣いていた。韓崇がこのことを聞くと、雷があるたびに車馬を手配して蔡順を墓所まで送らせた。 脚注 ↑ 『二十四孝』拾桑供母 伝記資料 『後漢書』巻39 列伝第29 この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 表話編歴[元]郭居敬 撰集『二十四孝』 孝感動天 虞 舜 親嘗湯藥 漢文帝 齧指痛心 曾 子 單衣順母 閔 子騫 爲親負米 仲 由 鹿乳奉親 郯 子 戲彩娛親 老莱子 賣身葬父 董 永(中国語版) 爲母埋兒 郭 巨(中国語版) 湧泉躍鯉 姜 詩(中国語版) 拾椹供親 蔡 順 刻木事親 丁 蘭(中国語版) 懷桔遺親 陸 績 行傭供母 江 革 扇枕溫衾 黄 香 聞雷泣墓 王裒(中国語版) 恣蚊飽血 呉 猛(中国語版) 臥冰求鯉 王 祥 扼虎救親 楊香(中国語版) 哭竹生筍 孟 宗 嚐糞憂心 庾 黔婁 乳姑不怠 唐夫人 棄官尋母 朱 壽昌 滌親溺器 黃 庭堅 ウィキソースには、二十四孝の原文があります。 Related Articles