蕭敷 From Wikipedia, the free encyclopedia 蕭 敷(しょう ふ、大明5年(461年)- 建武4年8月6日[1](497年9月18日))は、南朝斉の宗室。字は仲達。梁の武帝蕭衍の次兄にあたり、皇族として永陽昭王に追封された。 蕭順之の次男として生まれた。斉の長沙王蕭晃の下で行参軍を初任とした。行参冠軍征虜二府軍事をつとめ、入朝して太子舎人に転じた。太子洗馬に進み、南海王蕭子罕の王友をつとめ、丹陽尹丞として出向した。入朝して太子中舎人となり、建威将軍・隨郡内史に任じられた。寧朔将軍に進み、廬陵王蕭宝源の下で諮議参軍として召された。 建武4年(497年)8月6日、死去した。享年は37。蕭衍が即位すると、侍中・司空の位を追贈され、永陽郡王に追封された。諡は昭といった。 妻子 妻 王氏(永陽敬太妃、462年 - 520年、王份の弟の王儼の娘) 子 蕭伯游 蕭隆 脚注 ↑ 『故侍中司空永陽昭王墓誌銘』による。 伝記資料 『梁書』巻23 列伝第17 『南史』巻51 列伝第41 故侍中司空永陽昭王墓誌銘 故永陽敬太妃墓誌銘 Related Articles