北上川左岸に迫る標高78メートルの丘陵上に築かれた山城で、本曲輪は140メートル×60メートルを測る。本曲輪の西側に二の曲輪、南東側の尾根筋に三の曲輪・四の曲輪を配置し、虎口や堀切など中世山城の遺構を良好に残している[2]。
城に関する確実な史料は少ないが、鎌倉時代初頭、1189年(文治5年)の奥州藤原氏滅亡以後に当地に勢力を張った葛西氏の被官・薄衣千葉氏の居館であり、初代・千葉胤堅が1253年(建長5年)に築いたと伝わる。以降、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による奥州仕置で葛西氏が没落し、千葉胤次(胤勝とも)がそれに殉じるまでの337年間、千葉氏の管轄下にあった[1]。
城跡は、1998年(平成10年)7月1日付けで川崎村(現・一関市)指定史跡に指定された[2]。