薛仁謙
From Wikipedia, the free encyclopedia
唐の汝州長史の薛延魯の子として生まれた。慎み深く温厚な性格で、当世の事務に深く通じた。後梁の鄴郡王羅紹威に重んじられ、幕府の職を歴任した。同光元年(923年)、後唐の荘宗が魏州で即位すると、仁謙は通事舎人に任じられた。三度呉に対する使節をつとめた。衛尉寺少卿・引進副使に転じ、検校兵部尚書を加えられた。長興2年(931年)、鴻臚寺少卿・客省使となった。建雄軍節度副使として出向し、光禄大夫・検校尚書左僕射に進んだ。のちに光禄寺少卿に任じられた[1]。
後晋の天福元年(936年)、検校司空・河中節度副使として出向した[1]。天福4年(939年)、入朝して衛尉寺卿となった[2]。のちに太僕寺卿に転じた。継母が死去したため、仁謙は辞職して喪に服した[1]。
後漢の天福12年(947年)、司農寺卿に任じられた[3]。乾祐2年(949年)、司農寺卿のまま致仕した[1]。後周の広順元年(951年)、鴻臚寺卿となった[4]。太子賓客として致仕し、検校司徒を加えられ、侯爵に進んだ。顕徳3年(956年)10月14日、病没した。享年は78。工部尚書の位を追贈された[1]。