藤井康男
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東京都出身で、3代目得三郎(勝之助)の子。千葉大学薬学部卒業後に、大阪大学大学院理学研究科に進学。
1955年、家業の製薬会社龍角散に入社。1960年大阪大学理学博士。1963年龍角散社長。1967年から1977年まで北里大学助教授。1995年龍角散会長。
日本初の臨床試薬会社ヤトロン(現在のLSIメディエンス)の社長などを兼任。クラシック音楽に精通し、龍角散室内管弦楽団では自らソリストを担当した。千代田区教育委員も務めた。
息子の藤井隆太は、1995年から株式会社龍角散の社長に就任。秋田の藤井玄淵から数えると8代目。株式会社の5代目。隆太曰く「典型的なぼんぼん」であり、ほとんど会社に寄り付かず、古参役員に経営を任せきりの放漫経営だったという。そのため隆太が入社した1994年には倒産寸前であった[1]。
エピソード
- 「秋田で一番有名な民間薬といえば、龍角散。大曲で生まれた。本県では秋田藩士に藤井氏がある。常陸国那珂郡藤井郷発祥の佐竹氏族で、佐竹十代義篤の六男・義貫の子孫である。ほか京、大阪、関東からの入国諸家もあろう[2]。」
- 大曲市の富商藤井家は常陸から佐竹を慕って久保田に入り、江戸中期に大曲に移ったとされ、竜角散を製造した医師・藤井玄渕がいる[3]。
- 第一印象で相手の心をつかむ本によると、1982年(昭和57年)にタイガーバームの代理店となるため、現地へ交渉に行ったが、これは一筋縄ではいかないと思い、「あなたのところは虎。私のところは龍。虎と龍が争っても決着がつかない。しかし、虎と龍が手を組めばどうなるか」と冗談を言ったという。