藤井行徳
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山城国京都で中務権大輔・藤井行道の長男として生まれる[1][4]。父の死去に伴い、1891年(明治24年)7月24日、子爵を襲爵した[5]。
慶応元年2月(1865年2-3月)元服して昇殿を許され、慶応2年1月(1866年2-3月)従五位上に叙せられ、右馬権頭に任じられた[4][6]。明治元年(1868年)京都皇学所で漢学を修める[6]。
1879年(明治12年)10月、宮中祗候となる[2][4]。以後、岡山始審裁判所書記、秋田始審裁判所書記、白峯宮宮司、松尾神社宮司を歴任し、1895年(明治28年)に宮司を辞職[2][4][6][7]。1897年(明治30年)英照皇太后御葬祭斎官となり、以後、歌御会講頌御人数、歌御会講師御人数、大喪使祭官などを務めた[2][6]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[8]、1918年(大正7年)7月9日まで3期在任した[2]。1922年(大正11年)5月、平野神社宮司に就任し、1929年(昭和4年)に依願退職[7]。1930年(昭和5年)8月30日に隠居した[1]。