朱雀朝で中務少丞を務めたのち、村上朝初頭に右衛門少尉・右馬助と武官を歴任する。村上朝半ばには陸奥守として地方官を務めたほか、右兵衛佐・左衛門権佐にも任官している。村上朝後半に河内守に任ぜられると、円融朝では丹波守・伊勢守を務めたほか、時期は不明ながら常陸国・上総国と東国の大国の国司も歴任した。
貞元2年(977年)卒去。最終位階は正四位下。
一条堀川に住んだという。歌人として『後拾遺和歌集』に和歌作品1首が採録されている[1]。本朝文粋に天延2年(974年)に倫寧が作成した奏状が一つ残っている。[2]