藤原光成

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藤原 光成(ふじわら の みつなり、生年不詳 - 弘安2年3月26日1279年5月8日))は、鎌倉時代公家藤原北家御子左流大宰大弐藤原光俊の子。官位従三位左近衛中将

承久3年(1221年承久の乱終結後の閏10月に従五位下叙位を受け、翌貞応元年(1222年丹後守に任官する。

元仁2年(1225年侍従に任ぜられると、左兵衛権佐を経て、寛喜3年(1231年正五位下右近衛少将(近衛少将任官は父・光俊の右兵衛督辞任に伴う申任による)、嘉禎元年(1235年)従四位上、暦仁元年(1238年)左近衛中将、仁治元年(1240年正四位下と武官を務めながら昇進を重ねた。

その後、20年以上に亘って近衛中将を務めるが叙位任官に与ることはなかった。正元2年(1260年)4月に中将を辞すが、同年11月に従三位に叙せられようやく公卿に列す。公卿昇進後は散位となり、文永11年(1274年)3月5日に出家した。

なお、御子左流大炊御門家は光成以降に公卿に昇る者は出なかった。

官歴

公卿補任』による。

系譜

脚注

参考文献

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