藤原公経
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のち還俗して叔父の権中納言・重尹の養子となり、文章生に補せられる。後朱雀朝の長久3年(1042年)勘解由判官に任官すると、式部少丞を経て、後冷泉朝の天喜2年(1054年)巡爵により従五位下・加賀権守に叙任されるが、同年中に中務権大輔として京官に遷った。康平2年(1059年)中務権大輔の功労により従五位上に陞叙。
後三条朝初頭の延久元年(1069年)少納言に任ぜられると、白河朝でも引き続き少納言を務めながら、延久5年(1073年)に正五位下、承保2年(1075年)には従四位下と順調に昇進した。応徳2年(1085年)主殿頭に任ぜられると、これを終生務め上げる一方、白河院政期に入ると寛治3年(1089年)越中介、嘉保3年(1096年)河内守と地方官も兼ねている。永長2年(1097年)従四位上に至った。