Wikiwand AI

藤原守義

From Wikipedia, the free encyclopedia

時代 平安時代前期-中期
生誕 寛平8年(896年)
 
藤原守義
時代 平安時代前期-中期
生誕 寛平8年(896年)
死没 天延2年2月4日(974年2月28日)
官位 従四位上、参議
主君 醍醐天皇→朱雀天皇→村上天皇→冷泉天皇→円融天皇
氏族 藤原北家魚名流
父母 父:藤原公利、母:安倍氏主の娘
妻 平好風の娘
子 永頼、為昭、庶正、貴子、藤原為輔室
テンプレートを表示

藤原 守義(ふじわら の もりよし)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。藤原北家魚名流、中納言・藤原山蔭の孫で、但馬守・藤原公利の三男。官位は従四位上・参議。

醍醐朝の延長2年(924年)文章生に補せられる。越前権大掾・六位蔵人・式部丞を経て、承平6年(936年)従五位下・和泉守に叙任される。

朱雀・村上・冷泉・円融の四朝35年以上の長きに亘って、和泉守のほか、天慶4年(941年)伊予守、天暦2年(948年)越前守、天暦10年(956年)丹波守、応和4年(964年)伊予守、安和3年(970年)播磨守と六ヶ国の受領を歴任。この間に治国の功労として、天慶4年(941年)従五位上、天暦2年(948年)正五位下、天暦5年(951年)従四位下、応和3年(963年)従四位上と昇進を重ねる。

天禄3年(972年)参議に任ぜられる。父・公利は地方官を歴任して従四位下に終わっていたことから、守義の公卿昇進の目は薄かったが、赫々たる地方官と認識されて治国の功労により昇叙を重ね、六国の国守を務め上げて、77歳にして遂に公卿に列した。

天禄4年(973年)宮内卿に任ぜられるが、翌天延2年(974年)正月29日に出家し、2月4日に卒去。享年79。

官歴

系譜

参考文献

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks