藤原師長謫居跡
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歴史
伝承
地名伝説
- 枇杷島 - 謫居の間、師長は土地の豪族・横江光深の娘と懇意になった。師長が京へ帰る際、別れを惜しんだ娘は、土器野(現在の清須市、旧西枇杷島町)まで見送りに来たため、師長が本尊の薬師如来像と愛器の琵琶「白菊」を形見として分けたところ、娘は悲嘆のあまり帰路で川に身投げしてしまった。その場所に娘の亡骸と琵琶が葬られ、これを琵琶塚と呼び、のちの枇杷島の地名の由来となった[3][2]。かつては井戸田の東方一帯が「琵琶ヶ峯」と呼ばれる丘陵だったが、開発により現存しない[5]。
- 師長町 - 師長の名に由来するとされているが、謫居の地ではない[6]。昭和の時代に命名[6]。
- 妙音通 - 琵琶の名手であった師長の奏でる琵琶の音色にちなんで、昭和の時代に命名[6]。
