藤原常永 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代初期 - 前期生誕 不詳死没 貞観9年(867年)官位 正五位下、但馬守 凡例藤原常永時代 平安時代初期 - 前期生誕 不詳死没 貞観9年(867年)官位 正五位下、但馬守主君 淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇→清和天皇氏族 藤原北家父母 父:藤原葛野麻呂兄弟 永宗、常嗣、氏宗、安棟、常永、豊宗、高貞、弟貞、後継、是緒妻 伴真臣の娘子 是法、維邦、安柯テンプレートを表示 藤原 常永(ふじわら の つねなが/とこなが)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。藤原北家、中納言・藤原葛野麻呂の子。官位は正五位下・但馬守。 淳和朝の天長2年(825年)従五位下に叙爵。 その後20年近く動静が不明だが、仁明朝後半に勘解由次官・美濃守等を歴任し、仁明朝末の嘉祥2年(849年)に24年振りに昇叙され、従五位上となる。 文徳朝では、斉衡2年(855年)治部大輔、天安元年(857年)刑部大輔と京官を歴任する。文徳朝末の天安2年(858年)尾張権守に任ぜられると、貞観5年(863年)但馬守と清和朝では地方官を務めた。貞観6年(864年)正五位下に至る。貞観9年(867年)卒去。 官歴 『六国史』に基づく。 時期不詳:正六位上 天長2年(825年) 正月7日:従五位下 承和10年(843年) 2月10日:勘解由次官 承和13年(846年) 5月23日:美濃守 嘉祥2年(849年) 正月7日:従五位上 斉衡2年(855年) 2月15日:治部大輔 天安元年(857年) 9月10日:刑部大輔 天安2年(858年) 3月13日:尾張権守 貞観5年(863年) 2月10日:但馬守 貞観6年(864年) 正月7日:正五位下 貞観9年(867年) 日付不詳:卒去[1] 系譜 『尊卑分脈』による。 父:藤原葛野麻呂 母:不詳 妻:伴真臣の娘 男子:藤原是法 男子:藤原維邦(?-879) 生母不詳の子女 男子:藤原安柯 脚注 ↑ 『日本三代実録』貞観10年正月16日条にて、子息の維範が前年に父の喪に服して官職を辞したとの記載がある。 出典 森田悌『日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2007年 森田悌『続日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2010年 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録 上』戎光祥出版、2009年 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年 Related Articles