藤原弘経
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清和朝の貞観3年(861年)讃岐権掾に任ぜられる。貞観6年(864年)正月に従五位下に叙爵し、同年6月には讃岐権介に昇進する。貞観8年(866年)侍従に任ぜられるが、貞観12年(870年)加賀権守に転じると、貞観15年(873年)には讃岐権介に再任されるなど、清和朝後期は再び地方官を歴任する。貞観17年(875年)左衛門佐に任ぜられて京官に復す。
元慶元年(877年)甥にあたる陽成天皇の即位に伴って従五位上に叙せられると、元慶3年(879年)にも正五位下に昇叙される。元慶6年(882年)頃から病に伏せるが、外伯父にあたる事から陽成天皇が特に憐れみ、病床にもかかわらず同年12月末に従四位下への叙位が行われた。翌元慶7年(883年)正月には越前権守に任ぜられるが、任官の4日後に卒去した。享年45。最終官位は従四位下行越前権守。
人物
生まれつき言葉を発する事が少なく流暢に話せなかった。高尚な話をする場合に、上手に言葉を表現できなかったという[1]。