文徳朝前半に大宰少監を務め、文徳朝末の天安2年(858年)従五位下・肥前守に叙任される。
清和朝に入り、貞観4年(862年)民部少輔として一旦京官に復すが、翌貞観5年(863年)には上野介を兼任し、まもなく大宰少弐次いで近江介に転任するなど、短期間に地方官を転々とした。のちに散位を経て、貞観11年(869年)伊勢権守に任ぜられる。
元慶4年(880年)清和上皇の崩御にあたり、固関使として近江国に派遣される(この時の位階は従五位上)。元慶8年(884年)2月に光孝天皇の即位に伴い正五位下に叙せられ、同年中に従四位下・左少弁に叙任された。
仁和元年(885年)10月2日卒去。享年62。