宝亀8年(777年)3月に父・魚名の曹司(官衙の庁舎)に光仁天皇が行幸した際、従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵され、同年10月図書頭に任ぜられる。のち、左衛士員外佐・中衛少将といった武官や、美濃介・肥後守等の地方官を歴任する。
桓武朝に入ると、天応2年(782年)突如として左大臣として太政官の首班にあった父・魚名が失脚すると、末茂も他の兄弟と共に連座して、土佐介に左遷される。翌延暦2年(783年)兄・鷹取と共に入京を許され、延暦3年(784年)7月には一旦伊予守に任ぜられるものの、同年9月には再び日向介に左遷されてしまう。
その後、再び赦されたらしく、延暦7年(788年)内匠頭、延暦9年(790年)従五位上・美作守に叙任されている。