藤原藤成

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藤原 藤成(ふじわら の ふじなり)は、平安時代初期の貴族藤原北家左大臣藤原魚名の五男。秀郷流藤原氏の祖。官位従四位下伊勢守

弘仁2年(811年播磨介に任ぜられ、弘仁4年(813年移配させた夷俘に対する教化や、夷俘からの要請に対応するための専当官を兼ねる[1]。のち、播磨守・伊勢守嵯峨朝においては主に地方官を務めた。この間、弘仁6年(815年正五位下、弘仁8年(817年従四位下と昇進した。

弘仁13年(822年)5月4日卒去享年47。最終官位は伊勢守従四位下。

人物

吃音で流暢に話せなかった。内外の諸官を歴任したが、可もなく不可もなくといった様子であった[2]

官歴

日本後紀』による。

系譜

脚注

参考文献

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