藤原能忠 From Wikipedia, the free encyclopedia 藤原 能忠(ふじわら の よしただ、承徳2年(1098年)[1]または康和2年(1100年)[2] - 天治2年7月29日(1125年8月29日))は、平安時代後期の貴族。藤原北家御堂流、権中納言・藤原長忠の子。官位は正五位下・左少弁。 白河院政期後期の保安3年(1122年)父・藤原長忠の権中納言辞任と引き替えに、能忠は中務大輔から権右少弁に遷る。翌保安4年(1123年)左少弁に昇任されるが、天治2年(1125年)7月29日卒去。享年28[1]または26[2]。 人物 漢詩を作り、賢かったという(『今鏡』)[3] 官歴 注記のないものは『弁官補任』による。 時期不詳:従五位上。中務大輔 保安3年(1122年) 12月22日:権右少弁、元中務大輔 保安4年(1123年) 12月20日:左少弁 時期不詳:正五位下[4] 天治2年(1125年) 7月29日:卒去[2] 系譜 『尊卑分脈』による。 父:藤原長忠 母:藤原宗実の娘 生母不詳の子女 男子:延杲 女子:顕広王室 脚注 1 2 『弁官補任』 1 2 3 『中右記目録』 ↑ 『今鏡』藤波の下 第六 ますみの影 ↑ 『尊卑分脈』 参考文献 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年 飯倉晴武校訂『弁官補任 第一』続群書類従完成会、1983年 竹鼻績『今鏡 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1984年 Related Articles