清和朝初頭の貞観2年(860年)従五位下に叙爵し、翌貞観3年(861年)斎宮頭に任官する。貞観8年(866年)2月に中務少輔に遷るが、同年9月に伊勢斎宮寮の允以上の諸官人が悉く触穢となったため、勅により諸房が伊勢太神宮へ派遣されて祭事を行った[1]。
陽成朝では備後守を経て、少納言兼侍従を務め、元慶3年(879年)従五位上に叙せられている。また、元慶4年(880年)清和上皇が崩御した際には、内舎人・伴宗永とともに美濃関の固関使を務めている[2]。元慶7年(883年)第30次渤海使・裴頲の帰国に際して、太皇太后宮権亮・平惟範らとともに太政官符の交付を行った[3]。
光孝朝の仁和3年(887年)信濃守として地方官に転じた。また、時期は不明ながら伊勢権守も務めている。