藤原豊並 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代初期生誕 不詳死没 承和6年(839年)官位 正六位上、遣唐判官、贈従五位上 凡例藤原豊並時代 平安時代初期生誕 不詳死没 承和6年(839年)官位 正六位上、遣唐判官、贈従五位上主君 仁明天皇氏族 藤原京家父母 父:藤原石雄または藤原並藤子 仲直、内直テンプレートを表示 藤原 豊並(ふじわら の とよなみ)は、平安時代初期の官人。藤原京家、豊前介・藤原石雄または陰陽頭・藤原並藤の子。官位は正六位上・遣唐判官。 承和5年(838年)7月に遣唐使の第2船の判官として唐へ出発し[1]、8月に唐へ到着。12月には長安まで入京する。翌承和6年(839年)閏1月に遣唐使一行は長安を出発し、2月に楚州に至るが、豊並はその途上で病に伏し卒去した[2]。 遣唐使一行の帰国後、同年9月に遣唐大使・藤原常嗣以下に昇叙がなされた際、豊並に対しては詔により哀愍が述べられ、正六位上から従五位上への贈位がなされている[3]。 系譜 『尊卑分脈』による。 父:藤原石雄または藤原並藤 母:不詳 生母不詳の子女 男子:藤原仲直 男子:藤原内直 脚注 ↑ 『続日本後紀』承和5年7月28日条 ↑ 『入唐求法巡礼行記』開成4年2月20日条 ↑ 『続日本後紀』承和6年9月28日条 出典 森田悌『続日本後紀 上』講談社〈講談社学術文庫〉、2010年 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年 Related Articles