藤山覚一郎
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1928年に藤山愛一郎の長男として東京で生まれ、1950年慶應義塾大学工学部を卒業。卒業後藤山コンツェルンの1社である日東化学に入社[1]、1955年から1958年にかけては日東化学社員の身分のままMITマサチューセッツ工科大学に留学し工業経営学を専攻する[2][3]。 藤山覚一郎は父・愛一郎とは違い学研肌の人物と評価されている[3]。
藤山覚一郎は藤山コンツェルン総帥の長男として、コンツェルンで早期に地位をあげていく。父の愛一郎は自由民主党総裁選挙にのめり込み、愛正会を結成。党総裁選に3度にわたって出馬し、巨額の私財をつぎ込んだ。愛一郎は政治資金を得るためコンツェルン各社の株式を大量に売り藤山コンツェルンは解体されていく[4][5][6]。
企業人として
藤山覚一郎は日東化学から日東ユニカーを経て [7]1965年大日本製糖に専務として入社(当時の大日本製糖は有力な上場企業)[1]。1969年には大日本製糖が47%の株を持っていたホテルニュージャパン社長に就任する。1971年には大日本製糖の社長に就任[8]、新聞や雑誌には藤山2世登場と言われる[1]。しかし、当時の日本の製糖業は構造不況で大日本製糖の業績も落ち、1978年大日本製糖は上場廃止になり、藤山は社長を退任し会長になる[9]。1979年ホテルニュージャパンを大日本製糖の株主だった横井英樹に懇請[10] して売却[11][12]、1982年には大日本製糖会長も退き相談役になる[13]。1983年日本NCR常勤監査役。他には日本ATT情報システム監査役などを務め[14]、2014年時点では株式会社集成社の監査役を務めていた[15]。