藤本薫喜
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愛媛県喜多郡五十崎村大字古田(のち五十崎町、現内子町)で、藤本松太郎の三男として生まれた[4]。
愛媛県立大洲中学校(現・愛媛県立大洲高等学校)、松山高等学校を経て1928年、東京帝国大学医学部を卒業した[4]。栄養研究所技師・同附属病院副院長を勤めた[4]。1940年、医学博士の学位受領[2][4]。陸軍軍医として太平洋戦争に従軍した[4]。1946年、長崎医科大学(現・長崎大学医学部)教授になり、1967年の定年退官まで衛生学・公衆衛生学の教育と研究に当たった[4]。
1960年、県医師会顧問に就任した[4]。1968年、高知女子大学学長に就任した[4]。1976年から3年間松山東雲短期大学教授として栄養士養成に尽力[4]。