藤田嗣雄
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1904年(明治37年)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。1910年(明治43年)、東京帝国大学法科大学を卒業して、朝鮮総督府に勤務する[3]。1917年(大正6年)、参事官として陸軍省に入り、軍制方面の事務に参与していたことをきっかけに欧米各国の軍制史に興味を持つ[3]。勤務のかたわら研究を進め、退官後に整理した論文『欧米の軍制に関する研究』を東京大学法学部教授会に提出し、1937年(昭和12年)6月7日付で法学博士の学位を得る[3][4]。
1947年(昭和22年)2月28日、極東国際軍事裁判において弁護側喚問の初の証人として出廷する[5][6]。
1950年(昭和25年)に国立国会図書館立法考査局専門委員、1957年(昭和32年)から1966年(昭和41年)まで上智大学法学部教授を歴任する[2]。
1967年(昭和42年)10月7日、胃癌に肺炎を併発して死去、享年82歳[7]。10月11日、葬儀ミサと告別式が聖イグナチオ教会で行われる[7]。墓所は多磨霊園(19-1-13)。