藤田平太郎
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藤田財閥創始者藤田伝三郎の長男として大阪府に生まれる。1888年(明治21年)、慶應義塾を卒業後、イギリスのロンドンに留学しロイヤル・カレッジ・オブ・サイエンスにて鉱山学を修得。帰国後、藤田組副支配人、次いで支配人、更に藤田組副社長となった。
伝三郎の死後に藤田組社長となり1917年(大正6年)には藤田銀行を創設し頭取に、富士生命保険社長にも就任する。鉱山などの実業の再編を行ってグループの基盤を作る。他、大阪商船監査役、大阪実業協会顧問、大阪工業会会長のほか、第5回内国勧業博覧会評議員、帝国経済会議議員等を歴任。大学などの教育施設や医療施設に寄付を行い、篤志家として知られている。労働環境の改善に努めた。
1912年(明治45年)、父の死去に伴い男爵を襲爵する。1918年(大正7年)12月14日に貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[2]、1929年(昭和4年)9月25日まで在任した[3]。
