藤野辰次郎

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藤野 辰次郎(ふじの たつじろう、1858年1月23日(安政4年12月9日[1])- 1909年明治42年)7月29日[2])は、明治期の実業家政治家衆議院議員

近江国愛知郡下枝村(滋賀県[2]愛知郡下枝村、日枝村[3]大字下枝[1]犬上郡豊郷村を経て現豊郷町)で、豪農・7代藤野四郎兵衛良久の二男として生まれた[4][注釈 1]神戸高等商業学校東京高等商業学校専攻部を卒業した[4]。他店で経験を積み、その後、藤野店を担当した[4]

1876年(明治9年)6月、大阪第三区大区二等戸長学区取締に就任[2][4]。その後、大阪府会議員に選出された[1][2][3]。1885年(明治18年)滋賀県会議員にも選ばれた[1][2][3]。その他、破産管財人、神崎愛知郡所得税調査委員、愛知郡所得税取調委員なども務めた[1][2][3]。また、日本赤十字社終身正社員であった[1]

1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(滋賀県第3区、立憲革新党)は次点で落選し[5]、1898年(明治31年)8月の第6回総選挙(滋賀県第3区、憲政本党)で当選し[5]、三四倶楽部に所属し衆議院議員に1期在任した[2][3]

1887年(明治20年)実家から独立し[4]別海村缶詰工場[注釈 2]の払下げを受け[4]、所有の漁場からのサケ・マス、その他、牛肉、アスパラガスなどの缶詰を製造した[4]。その缶詰(あけぼの印缶詰)の販売は好調で[4]、その後、標津川口(標津町)、択捉島にも工場を設けた[4]

祖父

脚注

参考文献

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