藤間勘章
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4歳から日本舞踊を始める。1946年に旧満州から引き揚げる。1950年頃、名古屋市に居をうつす。名古屋で中京藤間一門会(勘右衛門派)を創設。1989年には初の立役に挑戦して成功、芸域を広げた。1998年2月1日、入院先から名古屋市で開催された門弟の会に駆けつけ、「山姥」を踊ったのが最後の舞台となった。
長く、中京藤間会会長として、亡くなるまで、中京地区の藤間流をまとめていた。主催の会「中京藤間をどり」(会場は御園座から中日劇場)では、毎回、創作舞踊を上演。「踊りの魔術師」「勘章マジック」と言われた。古典でも新演出をして、注目を集め、女形を中心に取り組む。中京五流舞踊公演は、第1回から亡くなる前年の1997年まで連続出演。