開封の出身。父は蘇耆。参知政事であった蘇易簡の孫でもある。若い頃から世を慷慨し、軍事論を好み大志があった。初めは父の推挙により太廟斎郎に任命され、景祐年間(1034年 - 1038年)に進士に合格し、知長垣県をへて大理評事となった。康定年間(1040年 - 1041年)、河東に地震があったときに蘇舜欽は上疏し当時の政治の欠陥を論じて范仲淹に認められ、集賢校理となり進奏院を監督し、時の宰相・杜衍の娘を娶るまでになった。
「公銭を用いて妓楽を召し、賓客をもてなした」という理由で、おもに范仲淹の反対派により弾劾され、蘇州に流遇することになる。水石を買って「滄浪亭」を造り、自らも「滄浪翁」と号して読書につとめ、憤りを詩にあらわした。のちに湖州の長吏となり、その地で没する。