蛇田村

日本の宮城県牡鹿郡にあった村 From Wikipedia, the free encyclopedia

蛇田村(へびたむら)は、昭和29年(1954年)まで宮城県牡鹿郡の北西部にあった村。

廃止日 1955年1月1日
廃止理由 編入合併
蛇田村石巻市
現在の自治体 石巻市
日本の旗 日本
概要 へびたむら 蛇田村, 廃止日 ...
へびたむら
蛇田村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 編入合併
蛇田村石巻市
現在の自治体 石巻市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
牡鹿郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 9.65 km2.
総人口 5,032
(『宮城県町村合併誌』、1954年12月31日)
隣接自治体 牡鹿郡渡波町
桃生郡鹿又村須江村赤井村
石巻市
蛇田村役場
所在地 宮城県牡鹿郡蛇田村
座標 北緯38度26分44秒 東経141度16分47秒
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地理

歴史

沿革

  • 1666年寛文6年)- 石巻宿の方から農民が移住。
  • 1868年明治元年)- 仙台藩から高崎藩の支配下になる。
  • 1872年(明治5年)- 桃生県石巻県登米県仙台県を経て、宮城県の所属になる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、旧来の蛇田村単独で村制施行。
  • 1933年昭和8年)- 一部を石巻市へ編入[1]
  • 1949年(昭和24年)- 明神山・山下・山下西・鍋倉・鍋倉前・南谷地・七窪・横堤・横堤南・揚慮原(うつみはら)・揚慮原西・深淵・境谷地・清水尻・清水尻西・西中里・東中里・面剣田・水押の各全部を石巻市へ編入[1]
  • 1953年(昭和28年) - 桃生郡鹿又村との間で境界改訂が行われ[2]、鹿又村字北向の一部を編入し、鹿又村に字新堤の一部が編入された[3][1]
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 石巻市に編入され、石巻市蛇田となる[1]

蛇田村の由来

安永風土記によれば、ツバメがくわえてきた瓜の実を植えたところ、大きな実がなり、その中から数多のヘビが出てきたため、村の南西に埋めを築き、名を蛇塚とした。そのため、村の名を蛇多とし、後年に蛇田と書き替えたという[4]
また、一説によると『上毛野田道が大蛇となって蝦夷を破った』という征夷伝説を信じた村人が蛇田道公と尊称し、それを祀ったためともある[4][1]

行政

  • 歴代村長
さらに見る 代, 氏名 ...
氏名就任退任備考
1高瀬直記明治22年(1889年)4月明治25年(1892年)4月
2菅野又甚三郎明治25年(1892年)5月明治36年(1903年)8月
3川村喜十郎明治36年(1903年)8月明治42年(1909年)2月
4川村豊吉明治42年(1909年)3月明治43年(1910年)2月
5遠藤章平明治43年(1910年)3月大正2年(1913年)11月
6大内久馬大正2年(1913年)12月大正10年(1921年)2月
7菅野又甚三郎大正10年(1921年)4月大正14年(1925年)5月再任
8千葉友治大正14年(1925年)5月昭和5年(1930年)11月
9木村義三郎昭和5年(1930年)11月昭和9年(1934年)11月
10勝又朝治昭和9年(1934年)12月昭和11年(1936年)10月
11布施長蔵昭和11年(1936年)11月昭和14年(1939年)12月
12山田海秀昭和15年(1940年)2月昭和19年(1944年)9月
13手塚周五郎昭和19年(1944年)9月昭和21年(1946年)10月
14宍戸孔一昭和22年(1947年)4月昭和29年(1954年)12月31日
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交通

著名な出身者

脚注

参考文献

関連項目

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