応永12年(1405年)に生まれた[2]。
山名氏家臣であったが[2]、若くして出家し、延暦寺東塔の惣持房に入った。
連歌は同じ山名氏家臣の出身であった宗砌から学び[2]、文安元年(1444年)頃から各所の連歌の席に出席し、後には足利将軍家の連歌の席にも招かれるようになった。
連歌の後進で行助とも同席することがあった宗祇は、後に『竹林抄』において「七賢」の1人に選んでいる。
文正元年(1466年)から応仁2年(1468年)にかけて東国を旅している。
代表作に『行助句』(享徳3年(1454年))・『行助連歌集』(文正元年(1466年))などが知られ、歌学書に『連歌口伝抄』(長禄2年(1458年))が伝わる。
応仁3年(1469年)に死去した[2]。享年65[2]。