行政裁判所 (日本)
大日本帝国の特別裁判所の1つ
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概要
勝訴率
裁判権
廃止の経緯
1947年(昭和22年)5月の日本国憲法および裁判所法施行にともない廃止された。日本国憲法第76条第2項では「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行うことができない。」と規定され、司法権から独立した形での行政裁判所は設置できないことになった。 裁判所法を施行した際に、行政裁判所の事件は東京高等裁判所がこれを引き継いだ[3] [4]。
大日本帝国憲法で行政裁判所制度が導入された理由は、ドイツ・フランスなど大陸法をモデルに継受していたからである。一方、日本国憲法は司法権の独立を厳密にした英米法の影響を強く受けている。
歴代行政裁判所長官
| 代 | 氏名 | 在任期間 | 前官 | 後官 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 槇村正直 | 1890年6月30日- 1896年4月21日 | 元老院議官 | (在官中薨去) | |
| 2 | 箕作麟祥 | 1896年5月5日- 1897年12月1日 | 行政裁判所評定官 | (在官中薨去) | |
| 3 | 周布公平 | 1897年12月6日- 1898年11月24日 | 兵庫県知事 | 神奈川県知事 | |
| 4 | 松岡康毅 | 1898年11月24日- 1906年1月7日 | 内務次官 | 農商務大臣 | |
| 5 | 山脇玄 | 1906年1月12日- 1913年6月13日 | 行政裁判所評定官 | 貴族院勅選議員 | 貴族院議員は1891年12月に任じられた。 |
| 6 | 岡野敬次郎 | 1913年9月20日- 1922年6月12日 | 法制局長官 | 司法大臣 | 1916年4月13日に親任官としての行政裁判所長官に任ぜられる。 |
| 7 | 窪田静太郎 | 1922年7月1日- 1932年1月27日 | 行政裁判所評定官 | 枢密顧問官 | |
| 8 | 清水澄 | 1932年1月30日- 1934年6月15日 | 行政裁判所評定官 | 枢密顧問官 | |
| 9 | 二上兵治 | 1934年6月15日- 1939年8月26日 | 枢密院書記官長 | 枢密顧問官 | |
| 10 | 三宅徳業 | 1939年8月26日- 1942年9月15日 | 行政裁判所評定官 | ||
| 11 | 遠藤源六 | 1942年9月15日- 1946年3月19日 | 行政裁判所評定官 | 枢密顧問官 | |
| 12 | 澤田竹治郎 | 1946年4月26日- 1947年5月2日 | 行政裁判所評定官 | 最高裁判所判事 |