パン屋を営んでいる後藤雄一は朝から1日中ラジオを聴きながら、仕事をしていた。
ある日、朝7時からニッポン放送の山谷親平のお早うニッポンを聴いていると、武蔵野市の小学校用務員の退職金と給食調理員の年収の話題が放送されていた。
行政に興味を持った後藤は役人への聞き取りを開始し、世田谷区の行政の実態を知ることになる。
そして、自らが経営するパン屋の開店7周年記念セールのチラシに役人の税金無駄遣いなどに関するコーナーを設置し、新聞の折り込みとして、1万部を配布したところ、世田谷区在住のある会社社長からカンパの申し出があった。
そのカンパによって世田谷行革110番が設立された。