袖解橋の遭難は、元治元年(1864年)9月26日の夜、袖解橋の手前で、井上馨が斬りつけられた事件である。井上馨は、前日の9月25日から、26日の夕方にかけて、山口政事堂にて開かれていた君前会議に参加していた。真っ暗な家路を、提灯の明かりを頼りに歩いていたが、袖解橋の手前に差し掛かったときに、後ろから足をつかまれ、前に押し倒されて背中を斬りつけられた。袖解橋と刻まれた石碑は、暗殺未遂の記念碑。幸い、懐に入れていた鏡が刀を防ぎ、九死に一生を得た[3]。
明治の歌人・田邊玄齢が袖解橋に思いを馳せ詠んだ歌「旅人の橋の名におふ袖ときて 水にすがたをうつしてや見し」があり、歌碑として刻まれている[4]。