当寺は、天徳3年(959年)の創建とされ清原深養父が建立した補陀洛寺の名を継いだものと伝える[1]。
小野小町が晩年をこの地で過ごしたという伝説があり、小野小町終焉の地と伝える[1]。
当寺には、小野小町90歳の頃の姿という小町老衰像の他、小町が亡くなってから風化するまでの様子を描いた「小野三相図」や小町18歳絵像、深草少将絵像等が安置されている[1]。
小町を葬ったとされる場所には、亡骸から生えてきたというススキ、小町穴芽(あなめ)の薄がある[1]。小町の髑髏が置かれており、目の部分の穴からススキが生えていたのだという。