伊勢国(現在の三重県)出身[2][3]。東洋紡績の前身である三重紡績に入り、1900年(明治33年)に製網機を発明した[2][3][5]。同年、西口つねと結婚して西口家の家督を相続し、「西口利平」に改名した[4]。
1902年(明治35年)に独立し、1904年(明治37年)に三重製網を設立し社長となった[2][3][5]。編網機の発明により、1926年に全国発明表彰功労賞を受賞している(7つの個人・団体のうちの1)[6]。
四日市米穀取引所監査役、四日市土地建物株式会社取締役、日進工業株式会社監査役、四日市商工会議所会頭などを務めた[5]。また四日市市議会では、1920年10月から1921年12月まで副議長、1924年10月から1925年4月まで議長を、それぞれ務めた[7]。